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アフリカ旅行記(2006年末〜2007年)
9.成金王国 ドバイ
今夜のねぐら(ドバイ国際空港)
ナイロビから5時間の空の旅、アラブ首長国連邦のドバイに到着したのはもう午後11時を過ぎていた。ドバイはエミレーツ航空のハブ空港で、1日無料でストップオーバー(途中降機)できる。明日1月4日、ドバイでこの旅最後の一日を過ごす。
ドバイの空港は不眠である。午前2時でも昼間と同じように構内は世界各国の旅行者でごった返している。そんなわけでベンチに眠る人、地べたに寝そべって眠る人、つまりここで夜を明かす人々も大勢いる。
僕はねぐらを探して空港内を歩き回った。めぼしい場所はもうすでに占領され、先客が眠りこけている。エスカレータで上に上がると穴場があった。いすが並んでいて、肘掛もないので長く横になって寝れそうだ。近くにはおじさん一人。僕はここでデイパックを枕代わりにして横になった。しばらくウトウトして目を覚ますと、いつの間にか僕の脚の先の椅子にさらに四人が横になったりうなだれたりしながら寝ていた(左写真)。椅子は硬いプラスチック製ではなくクッションつきだったのでタダ寝にしてはなかなか快適に眠れた。
1月4日木曜日朝8時。空港のトイレでクソして顔を洗う。そして、バックパックを空港の手荷物預かり所に預ける。ここドバイには先進国と変わらないサービスがある。巨大な空港には、荷物を預かってもらえるサービスがあるのだ。確か16時間くらい預けて10ドル程度だった。
ゴールド・スーク
スパイススークの陽気な出稼ぎパキスタン人
ドバイの母、クリーク
アブラの乗客たち
ドバイ・オールド・スーク(バール・ドバイ地区)
ジュメイラ・ビーチ・ホテル
近代的ショッピングセンター、メルカート
空港の銀行で両替し、断然安い路線バスに乗っていよいよドバイ市内へ向かう。渋滞の中20分ほど、バニヤス広場近くで降りる。朝9時半。車は多いが人通りは少ない。
ドバイというのは、アラブ首長国連邦(U.A.E.)を形成する7つの首長国のうちのドバイ首長国の首都。海のシルクロードの中継地点として古くから栄え、”中東の香港”と呼ばれる国際経済都市だが、最近では莫大なオイルマネーをバックに、さらに急速な発展を遂げつつある大都会である。人口の7、8割が外国人だそうで、中東各国やインド、パキスタンから出稼ぎ者が多い。
中東特有の王国で、首長一族が自動的に政治トップであって政治を司り、同時に経済トップでもあって主要企業のトップである。民主主義もクソもない。もっとも彼らは脱石油を目指した真っ当なビジネス感覚を持っていて、更なる発展のために貿易と投資によって世界中の多国籍企業をドバイに誘致している。また、観光にも力を入れる。ドバイに世界中の観光客を惹きつけるべく、ホテルやリゾート等のインフラ作りを飽くことなく続けている。そして国営であるエミレーツ航空により世界各国からドバイに人間を運ぶ。エミレーツは毎月のように最新鋭航空機を購入し、この航空不況の中、圧倒的な拡大路線を採っている。
この首長国は、石油で稼いだ金を投資につぎ込み、急拡大を続けているが、その発展は、格安の賃金で働く近隣各国の出稼ぎ労働者の上に成り立っている。
スパイススークで香辛料を売る若者
さて。デイラ地区。大きなビルが立ち並んでいるが、建物の造りはなんとなくアラブ風。電気街を抜け、スーク(市場)へ。貴金属だけを扱ったきらびやかなゴールド・スーク、香辛料専門のスパイス・スーク等、スーク地区が広がっている。ゴールド・スークは中東風スークとは程遠い。スークは”市場”という意味なので、要は商店街なのだが、僕が”スーク”という言葉の響きで連想するイメージは、カイロやイスタンブールで見たような、迷路のような細道の両側に山ほどの品物を積んだ小売店が並ぶ、中東特有の乱雑的混沌・活気である。ここにはそんなもの微塵もなく、屋根のついたゆったりとした道幅の両側に、まばゆいばかりの電灯を輝かせた高級貴金属店ばかりが並んでおり、ちっとも趣がない。スパイスの匂いが強烈なスパイス・スークでようやく中東のかぐわしい匂いに触れる。ここで働く陽気なニーちゃんたちは、インドやパキスタン、バングラディッシュから出稼ぎで来ている。そういえばカレーの匂いが常にしている。彼らの顔はみな濃い。インド周辺の顔だ。そして荒物、金物、おもちゃ、衣料品、日曜雑貨の店が並ぶスークが続く。
その後アラブ伝統の生活様式、建築を見学できるヘリテージハウスを見た後、再び歩き始める。
日差しは強いが、予想していたほど暑くはない。正午で20℃〜25℃くらい。過ごしやすい。
ドバイの街はアラビア海に面していて、街の中央を貫いてアラビア湾に注いでいるのが”ドバイの母”と呼ばれるクリーク(運河)である。クリークにはアブラ(アラブではない、念のため)と呼ばれる渡し舟が行き交い、ひっきりなしに両岸を結んでいる。水の色は透き通った青緑色。この色も、中東の砂漠的イメージからはだいぶ離れている。
地元住民と一緒にアブラで対岸に渡る。眩しい日差しに緑色の水、そしてそよ風に包まれ一気に気分爽快。
上陸したこの対岸がバールドバイ地区。何でも売っている巨大なドバイ・オールド・スークを歩き回る。ここは迷路のような細い路地に店が並ぶ中東風を少しは思い起こさせる。
バールドバイ地区を歩き回って、遅い昼食。ファミレスチックなレストラン。内容はインド、中華、アラブ料理。つまり、カレー、チャーハン、ビリヤニ、ケバブ等がメイン。フライドチキンやフライドポテトといった欧米風料理もある。僕はチキン、ライス、フライドポテト、サラダのワンプレートを食った。味はまずまずだったが約7ドルと高かった。ドバイ価格か。
昼飯、ドバイのファミレスにて
夕暮れ、PM5:45。日没のアザーンの大合唱。街じゅう無数にあるモスク尖塔の拡声器から地鳴りのように一斉に鳴り響く。ここドバイももちろんイスラム教国である。アザーンは「アッラー(イスラム教の神)は偉大なり。アッラーのほかに神はなし。ムハンマド(マホメット)はアッラーの使者なり。礼拝へ赴け。」と言っていて、イスラム教徒に祈りの時間を知らせるための一種の合図である。謡曲のようにのっぺりしているがその中に長周期のメリハリが利いている。最後の言葉の音をずーーと伸ばす。ゆったりした語り口とこの最後の”伸び”が一種の恍惚感というか、思考停止感を醸し出す。ちょっと目をつぶってリラックス状態に陥りそうな、そんな効果がある。イスラム教徒は毎日毎日5度(※注)もこれを聞いているわけであるから、刷り込まれていて、”信仰”はもはや彼らの無意識に強固に形成されている。「アザーンにより彼らは毎日毎日洗脳が完璧になっていく」と言ったらイスラム教徒は怒るだろうが、効果的にはそういうことだと思う。イスラム圏の国々では、どんな小さな町でもモスクがあり、その尖塔には拡声器が設置され、毎日毎日町じゅうに公共放送のようなアザーンが流れ、毎日毎日彼らの信仰心は確固たるものとなっていく。
ただしドバイは他のイスラム国に比べると、経済が何よりも第一優先になる国で、宗教と経済、政治と経済が衝突したとき、常に経済が優先されるそうである。例えば厳格なイスラム教国であるサウジアラビアでは、祈りの時間には学校も商店もみんな活動を停止して祈るのだが、ドバイでは商売は止まらない。
(※注)イスラム教徒は一日に五度(夜明け、昼過ぎ、午後、日没、夜半)祈る。モスクでなくても、どこでも祈る。聖地メッカ(サウジアラビアの街)の方角を向いて祈る。コーランを朗誦しながら、立って祈りひざまづいて祈り、それを繰り返す。
アザーンを聞いた後、アル・グバイバ・バスステーションから8番のバスに乗ってジュメイラ・ビーチへ。ここにはドバイを誇る2つの超巨大的超豪華ホテル、ジュメイラ・ビーチ・ホテルとバージュ・アル・アラブがある。ジュメイラ・ビーチ・ホテルは、船的な形をしている。一方バージュ・アル・アラブは世界一の高さのホテルで、ロケットのような奇抜なデザイン。いずれも1泊数十万の超高級ホテルで、バージュ・アル・アラブに至っては1泊100万以上の部屋まである。この二つのホテルが建っているあたりは今まさに建築ラッシュで、高級ホテルがどんどん建っている。
さらには海を埋め立てて建設中の、世界最大のやしの木型人口砂浜リゾート、パーム・ジュメイラには、世界の億万長者たちが争って別荘を購入しているという。ベッカムやシューマッハーなどがすでにこの1億以上する別荘の購入を決めたそうである。まさに金に任せた成金ビジネス。確かにドバイは、世界のビジネスの中心地に躍り出つつある。
バージュ・アル・アラブ
この2つの超豪華ホテルを冷やかしに指をくわえて眺めた後、再び市内へ向かう。もうすっかり夜。午後7時。待っても待ってもバスが来ない。バス停には僕と同じようにバスを待つ人々。ある人たちは全く意に介さずにおしゃべりをし、またある人は僕と同じように右往左往しながら来ないバスにイライラを募らせる。ここで僕はマイアミから来たという、USA Today(アメリカ合衆国の全国紙)の記者と名乗るアメリカ人と親しく話した。今の時期のドバイは気候的に過ごしやすいが、3月から11月までが夏で、真夏の最高気温は50℃にもなり、地獄の暑さだそう。彼は仕事で日本にも行ったことがあるそうだ。僕が持っていたデジカメを見て、「デジカメはどのメーカのものが一番いいか?」と聞いてきたので、一通り一般論をかました後、「人それぞれだから、分からない」と答える。
路線バスはついに来ないので、仕方なくプライベートバス(ワゴンタイプの小型バス)に乗る。路線バスよりももちろん料金が高い(路線バスが約50円、プライベートバスが2倍の100円)。車内では大学生の若者と親しく話す。彼にメルカートはどこで降りるのかを教えてもらう。15分くらいでメルカートへ到着。メルカートはいわゆる近代的ショッピングモールである。こんな西洋式のショッピングセンターがドバイには多数ある。中東風の古いスークはこの街には似合わないのだ。中東の真ん中にある非中東。それがドバイである。
メルカートはおとぎ話に出てくるお城風の概観で、まばゆいばかりにライトアップされている。中には世界のブランドショップが軒を並べ、フードコートはマック、KFC、ハーディーズ、ピザハット、スターバックス等ブッシュアメリカ帝国に侵略されたような状態。アメリカ嫌いのはずのイスラム人たちが、笑顔でこんなジャンクフードを幸せそうに食っている。しかも、イスラムの一つの象徴ともいえる、黒い民族衣装アバヤを着た女性たちまでもがハンバーガーにかじりついているのだ。何ということだ!ここらあたりには政治と庶民生活とは直接関係ないことの表れというか、いや金持ち天国、外資天国ドバイならではの光景なのかもしれない。結局イスラム人だって昔日本がそうであったように、アメリカ的なもの(衣食住すべてに渡って)に対する憧れを持っているに違いない。金があれば世界中の物品にアクセスできる中近東屈指の国際都市ドバイには、地球上におけるいわゆる現代的なものが集まっているのだ。ドバイは、世界中のあらゆるものを貪欲に吸収して成長し続けている。
メルカートでは、灰皿がいたるところに設置されている。タバコ好きの中東ならではの光景である。日本のデパートで、普通にタバコが吸える所などほとんどない。中東ではどこでも吸える。カンパラで買ったマッチが今朝終わってしまっていたので、今日一日僕はずっと人に火を借りてタバコを吸ってきた。中東ではタバコを吸う人が多いので火を借りるには困らない。ここメルカートでも、民族衣装を着た威厳に満ちたアラブ人のおじさんがタバコを吸っていたので、彼にライターを貸してくれないかと頼んだ。頼んだ後、僕は彼のあまりにも威風堂々とした体格とヒゲの容姿、険しい顔つきに、
(あちゃぁ、まずい人に声かけちゃったなぁ。いかにも堅物オヤジって感じじゃん。)
だがこれは全くの杞憂だった。彼はさすがにニコリともしなかったが、厳しい顔つきのまま自分のライターを取り出し、自ら火をつけて僕に差し出したのだ。僕がどれほど恐縮したか、想像つくでしょう。火をつけ、僕は厚く礼を言った。これぞイスラムの優しさ。イスラムの人々のもてなしというのは、天下一品である。宗教からきているのかどうかは不明だが、客人をもてなす心使いというのは、日本人に負けず劣らずだ。エジプトはカイロやルクソールで街なかいたるところでチャイとタバコでもてなされたことを思い出す。まぁ、物を売りつけようとする下心のある奴も多かったが、ピラミッドを見に行ったときに自宅に案内して、食事まで出してくれたエジプト人運転手のもてなし心は、僕の心に響いたっけ。もっとも、彼自身がただ腹減ってただけなのかもしれないが(笑)。
ライトアップしたジュメイラ・モスク、月夜
メルカートから、ドバイで最も美しいと言われるモスク、ジュメイラ・モスクまで歩く。闇の中にライトアップされたモスクは幻想的な美しさ。
ジュメイラ・モスク前にも路線バスが全然通らない。1時間近く待ったが埒が明かないのでやむを得ずタクシーを拾う。メーターだったがアホ高。20分ほどで約430円。ドバイのタクシーはメーター制。さすがに多くの欧米人が訪れる国際都市だけあって、キトのようにメーターに細工をして不正料金をふんだくるようなことはないようだが、料金はバカ高い。
ドバイ市内へ戻ったのは夜10時過ぎ。インド人スークを通り抜け、クリークへ。思えばここドバイにもインド人が多い。再びアブラに乗って対岸に渡る。アブラは夜11時ごろまで運行しているそうで、夜10時でも客を満載している。クリーク沿いの建物はライトアップされ、光が水面で揺らめいて美しい。そしてこれまた光で装飾されたクルーズ船が渡ってゆく。
デイラ地区に戻ってクリーク沿いの軽食屋でシャワルマとコーヒーを頼む。外に置かれたテーブル、涼しい夜風に吹かれながら旅最後の夜特有の感傷的な気分に浸る。
シャワルマを食べ終わった僕は、空港へ行くバス停へ歩く。夜11時過ぎというのに夜の街は往来が行き交っている。そして多くのポン引きが声をかけてくる。さすが大都市。
「いい子いるよ。アジア系。インドネシア、モンゴル、色々いる。どうだい?」
何人かのポン引きと話したところでは、アジア系の娼婦が多いようだ。いや、僕が東アジア人だからそうオファーしてきたのか。出稼ぎは、男だけじゃないってわけだ。ポン引きたちを振り切り、店じまい中で輝きを失ったゴールドスークを抜け、僕は空港行きのバスに乗った。
それにしてもこの街は治安がいい。この時間にビデオを構えて歩いていても全く不安を感じない。テロや宗教紛争という情報ばかりが先行し、治安が悪いイメージのある中東だが、ここドバイは別世界である。厳格なイスラムでなし、欧米式の経済発展ばかりが目に付くが、欧米の外資企業を誘致できるのも治安の良さがあってこそ。これにはこの国を動かしている首長一族の確固たるビジョンを感じざるを得ない。
ドバイ国際空港で、預けていた荷物を回収し、チェックインしようと思って出発ロビーに行って唖然とする。あふれんばかりの出発客が、すさまじい列を作って並んでいるのだ。白人観光客もいるが多くは出稼ぎと思えるインド系の人々。彼らはめいめいが家財道具一式じゃないかと思われるほどの大荷物を運んでいる。そして荷物のX線検査の処理能力が全く間に合わず、長蛇の列となっているのだ。やっとのことでそこを抜けても、さらにチェックインにも信じられない数の人々が並んでいる。無数にあるように見えるエミレーツのチェックインカウンターはすべて埋まり、ロビーは立錐の余地もないほど列を作る人々でごった返している。
(ここの空港は旅行客に対する処理能力が全然足んねぇんじゃネェか)
そういえば、この空港の出発ロビーには出発ゲートが40以上あり、常に旅行者で芋を洗うような混雑である。トイレも常に長蛇の列。クソするには必ず列に並ばなければならないほどいつも混んでいる。高級免税店と全く機能しないトイレのギャップ。とにかく空港の様々な機能の処理能力に対して旅行客が多すぎる。国際都市ドバイの弱点のように僕には感じられる。っていうか実際にはあまりに人が多くて待たされたのでイライラしてムカついて処理が間に合わない空港に八つ当たりしたかっただけなんだけれど。確かに近代的な空港だが、快適さは全く国際基準からかけ離れて劣っている。
さて、長大な列に並んでじりじりと順番を待ち、ようやっとチェックイン終了。そして入国検査へ向かう人々もすさまじい。
ドバイ発関空行きエミレーツ機の出発ゲートにたどり着いたのは、もう2時を過ぎていた。
こうして午前2時50分にドバイを飛び立った。機内では行きに途中で終わってしまった映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見た。
飛行時間およそ8時間半で大阪到着。PM5時。ついに日本に帰ってきた。ドバイの空港が嘘のように関空は閑散としている。
関空に降り立った数人の黒人。アフリカ以外では、彼らはどこでも少数派。アフリカで黄色人の僕が感じた孤立感を、彼らは世界各地で感じるのだろう。
関空から羽田へ飛び、1月5日午後11時、自分の街に戻ってきた。
ココイチ(ココ一番屋)のカレーで13日ぶりの日本食。やっぱり日本のライスカレーはうめぇ。米だ。米がすべてを変えてしまう。米を主食にしている国は数あれど、他国の米はどれもこれもすべて細長パサパサなのだ。
カレーで満たされ、家までの道すがら、門前の正月飾りを見てようやく今が正月であることを気づかされる。歩きながら、徐々に日本の寒さが身に沁みてくる。この身を締める冷気が、旅が終わった虚脱感を抑え込む。解放感に浸る暇もなく、家に帰ってバタンQ。
13日間の激闘は、終わった。
(おわり)
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