HOME > THE WORLD > Africa > Africa Travel 2006 > (8)
アフリカ旅行記(2006年末〜2007年)
8.野生の王国 マサイ・マラ国立保護区

草原に降り立った飛行機

ムパタ・サファリクラブ

ムパタ・サファリクラブのコテージの部屋(外観)

ムパタ・サファリクラブのコテージの部屋(内部)

シマウマ、ゼブラ。ボールペンとちゃうで。

キリンの大群、大人も子供も。ジラフ。

百獣の王・ライオン

陸上最大の生物、アフリカゾウ。体重数トンの巨大老象

バッファロー、草食動物の中でもっとも気性が荒いらしい
湾曲した角を見るとモーツァルトを思い出す

1月2日早朝、雨による増水で川を渡れず

現代の観光マサイ族とツーショット

僕らを歓迎の歌で迎えてくれたマサイの女性たち

マサイの老人。耳の穴と垂れ下がった耳たぶに注目

マサイ族が観光客に売る工芸品、人や動物の仮面

ナイロビから小型飛行機で50分。マサイ・マラ国立保護区は、タンザニアとの国境に位置するケニアでも屈指の人気を誇る野生の王国である。広さは大阪府ほどで、タンザニア側にあるセレンゲティ国立公園とつながっていて、ライオン、チーター、カバ、キリン、象、シマウマ、インパラ、バッファロー等動物園の定番ラインナップをほとんど揃えており、ケニアの国立公園の中では最も多くの種類の野生動物が生息している。

しばらく貧乏旅をした後に必ず思うこと。それは、1泊でいいから、1泊150ドルくらいする豪華ホテルに泊まって、潤沢なお湯を贅沢に使ってシャワーを浴び、フカフカ沈み込む柔らかで暖かい布団で眠り、きれいさっぱり旅の疲労と腐臭を削ぎ落としたい。そして今までの安宿の暗くて薄汚いイメージから、一瞬でいいからゴージャス感の只中に身を置きたい、ということである。今回のマサイ・マラのサファリツアーは、僕にとってそういう位置づけのものだった。アフリカに来てまだわずか10日程度とはいえ、空港で夜を明かしたりとか、治安の悪さに怯える精神的プレッシャーも重なって、疲労は結構蓄積していた。そこで最後にもってきたのがこのツアーである。これは、日本から予約しておいた。ここに1月1日〜3日午前中まで、2日半滞在してサファリを存分に楽しむのだ。何というゴージャス。2泊3日の豪華ロッジ、朝夕2回のゲームドライブ、食事、ナイロビへの飛行機代すべて込みで800ドルという信じられない高額。一人でのツアー参加はこれだからイヤなんだ。一人で一部屋を占有するため、どうしても割高になる。だが、治安の悪いナイロビから車をチャーターするのはどうも危なそうだったし、『歩き方』にも情報があまり載ってないし、ボッタクリツアーに注意!とも書いてあったし、現地調達できなかったら最悪サファリが出来ない可能性ありということで、このツアーだけは日本で事前予約したのだ。ナイロビのエンバシーホテルに出入りしていた旅行会社のオヤジたちの話では、一人でも2泊で350ドルとか言っていたので、やはり高い金払ったなぁとは思ったが仕方ない。金払ったけど全然動物が見れなかったとか後からいろんな料金を別に請求されたりといったボッタクリツアーもここでは普通らしいのだ。品質と安全を金で買うしかない。(と自分に言い聞かせる)

マサイマラの草原の飛行場にロッジの車が迎えにきていた。そこから車で30分。泊まったロッジは、日本人が経営するロッジ、ムパタ・サファリクラブ。エコロッジではあるが高い金払っただけあって、涙が出そうな豪華さと清潔さ。東京を出て以来10日間はき続けているためドロドロに汚れているジーンズの僕だが、街中の豪華ホテルでは全くの場違いに見えるだろうが、大自然の中に立てられたロッジのため、まだ違和感なく溶け込むことが出来た。各部屋コテージタイプで1戸立てで敷地内に配置され、ガラス張りで大平原が雄大に見渡せる。エコロッジなので電気は発電機で朝5:15〜11:00、夜は6:00〜11:00の間のみ供給される。その他の時間は電気なし。夜11時以降は、懐中電灯でトイレに立つのだ。
ムパタ・サファリクラブの宿泊客は、8割が日本人。日本人スタッフもいて、ロッジの中では日本語だけでOK。

今回の2泊3日のマサイ・マラ滞在中、合計4回、ゲームドライブという動物観察がツアーに組み込まれている。毎日早朝と午後、動物の活動が活発になってよく姿を見られる時間帯に、4輪駆動車でサバンナに入り、動物を観察するのである。通称サファリ。サファリとは、マサイ語で”旅”を意味するそうである。
第1回目のサファリは、午後3時スタート。ロッジからランドクルーザーで大平原に乗り出していく。ところどころにアカシアやバオバブの木が生えている以外は広大な草原、サバンナが広がっている。潅木もほとんどない。遠くには一部林が見え、さらに先には小高い山の列がいくつか寝ている。空を見上げると、幾層かに重なった雲の切れ目から何筋かの光が放射状に草原に注いでいる。暗灰色の重い曇り空が、徐々に柔らかく光る白に変わってゆく。くすんだ草の露が、光条により一気に輝き始め、あたりは急速に華やかさを増してくる。
この記念すべき第1回目のサファリで、運のいいことにほとんどの主要動物を見ることができた。象、ライオン、インパラ、バッファロー、チーター、キリン、シマウマ、ダチョウ、鷲等々。見れなかったのはカバくらい。このマサイ・マラにはサイはいない。サイ自体が絶滅の危機にあり、見ることができる国立公園・保護区は限られているのだ。サファリは3時間くらいでロッジへの帰途に着く。帰り道ではバブーン(ヒヒの仲間)とウォーターバック、トムソンガゼルに遭遇。いやぁ、ムツゴロウじゃないけど、動物ってすばらしい(笑)。命の星、地球が生んだ生物の多様性。

PM6:30にロッジに戻り、食堂で夕食。ビュッフェスタイルで、久しぶりにえぇもんをたらふく食った。海外旅行では思い通りに旨いものを腹いっぱい食うことは結構難しいのだが、取り放題食い放題スタイルなら、肉やチャーハンや麺やスープ、サラダ、果物などおなじみの料理・食材を、好きなだけ腹いっぱい食うことができる。ラスベガスを旅行したときのように毎日ビュッフェだとすぐに飽きるが、貧乏旅行を続けてきた後だと竜宮城のように夢心地で食いまくれる。こういう時ほどビュッフェというのがすばらしいと思うことはまずない。
8:30頃から食堂内にあるステージで、アフリカンダンス&音楽のショーが始まった。盛り上がる。ショーのラストでは、食事をしていたロッジの客もステージ上に引っ張り上げられ、一緒に踊りまくる。

部屋に戻り、今までからすれば信じられないくらい清潔な部屋で、いい気分でシャワーを浴びていると、だんだん水の色が濁ってきて、しばらくすると茶色になった。なになに、何よ、これ??よくよく調べてみると明らかな泥水である。いくらエコロッジちゅうても水の配管に泥が混じっているとは信じられん。これじゃあ、普通の水が出る安宿のシャワーの方がマシだよ、ボケっ!!
目が飛び出るほどの高い金を払っているのにこの体たらくとは、釈然としない気持ちのまま明日朝のゲームドライブに向け早々に床に就く。



翌日、1月2日。朝5:20起床。外はまだ真っ暗。ようやく白み始めた6時から朝のゲームドライブ。夜半過ぎから大雨が降り出し、今もまだ弱く降っている。ロッジを出発して20分、雨のため川が増水していて橋を渡ることができず、メインの保護区エリアまで車が到達できなかったため、ロッジ付近の近場でありふれた動物を見るだけでお茶を濁すという、不完全燃焼に終わった。収穫はヒッポ・プールという川のカバポイントにいたカバを見れたことだけ。道は冠水して普段の凸凹が100倍増幅され、最悪。車の屋根に頭をぶつけて首の骨を折りそうな乱高下の中のドライブ。4駆じゃなければ簡単にスタックするだろうドロドロのデコボコ。
ムパタ・サファリクラブは、国立保護区から比較的離れたところに建っており、保護区に入るのにこの川を渡らねばならない。立地的にはあまりよくないが、小高い丘の上に立っているので、大平原を一望できるロッジからの景色は絶品である。

朝食後、オプショナルツアーでマサイ村へ。2時間弱で45ドルもする。ボッタクリ。このうちどれくらいがマサイの人々に渡るかは分からない。ちなみに、マサイ・マラの代表的オプショナルツアーと言えば、まずバルーンサファリ。これは夜明け直前に熱気球に乗って大草原の日の出を見た後、上空から動物を観察する、というもの。降り立った後は草原で朝食、そこから再び通常の車によるゲームドライブに入る。ムパタでは395ドル。さすがに高くて手が出ない。カードでも払えたけど。もう一つ、フィッシングというのがある。これは、ビクトリア湖の小島にセスナで飛び、そこからボートでトローリング。狙うはナイルパーチを始めとするビクトリア湖に棲む淡水魚。8時間で450ドル。面白そうだけどなぁ。金も時間もない。

さて、マサイ村に話を戻そう。村の周り、あたり一面にかぐわしい匂いが立ち込めている。足元を見ると、マサイ族の財産、牛の排泄物がそこらじゅうに転がっている。
観光客に毒され、現金収入に目がくらんで骨抜きにされたマサイ族たちが僕らを迎えた。彼らは腕時計をし、サンダルを履き、ある者は英語を話す。何これ?何この人たちは?
マサイ族というのは誇り高き戦士でしょうが。しかし、彼ら国立保護区内のマサイ族は、当然狩りなどできない。保護区内はすべての動物が保護されているのだ。もちろん、ケニアという国、そこに住むマサイ族はマサイ族といえども国民として責任と義務を果たさなくてはならない、というのは分かる。その法律の中で、”金”という魔法の紙と引き換えに民族の伝統と誇りが喪失されていく、というのはどこの国でも現代の先住民たちがたどる同じ運命なのだろうか。もちろん、僕ら日本人だって、少なくとも戦前くらいまでは日本伝統の着物を多くの人が着ていたが、戦後現在に至るまで、日本はアメリカ文化に腐食されつくし、今や誰も日常では着物など着ていない。自ら進んで日本文化を捨ててきたと言っていいだろう。
ガイド役のオヤジにそのあたりをぶつけるが、もう彼らは近代文明に冒された平凡な地球人に成り下がっていることが分かった。彼の言では、彼らマサイ族も、現代西洋文明のシステムに組み込まれ、そこでの幸福を彼らの幸福としてしまっているのだ。無理もないが。彼らは狩りもせず、家畜を飼って、世界中の観光客を自分たちの村に案内し、工芸品を売って、NGOの助けを借りて造られた学校に子供たちを通わせ、英語を習わせる。こうして将来、世界にマサイ族のエリートや金メダリストが出現してくるのだろうか。
マサイの村の単位は数家族で、土壁の家々を円形に建て、中央に広場がある構造である。家々の外側にはバリケードのような壁を木々の枝で作る。ちなみに、マサイも一夫多妻制だそうだ。
電気はないから昼間でも薄暗い家の中に入れてもらう。種火がくすぶる炊事場、居室は主人用と妻用のベッドがある。土の匂いがする。また、子牛をつないでおく家もあり、こういう昔ながらの生活ぶりを見ると、やっとマサイ族の村にやってきた実感が出てくる。そして近くの木の葉を煮詰めたりつぶしたりしてマラリアや風邪の薬を作るという、彼らの生活の知恵を教えてもらう。
彼らは金をもらって契約をして、観光客が彼らの写真を撮ることを全面的に許可している。だから、この村では誰を撮ってもいいのだ。僕のイメージは、マサイ族の人を無許可で写真に撮ろうものなら手の槍を投げつけてくる、という強烈なものだったので、あまりにあっけなく写真が撮れることは全くの拍子抜けだった。
マサイ村ツアーには、名古屋から来たという日本人女性二人組が一緒だった。歳は20代後半だろうか。彼女らはほとんど初めての海外旅行を思い切ってケニアにしたとのことだが、豪華ロッジの何一つ不自由ない生活と、毎日のサファリを楽しんでいるようだった。

僕にとって2回目のサファリから最終4回目まで、ドーハ在住の日本商社の駐在員、Hさん夫妻と一緒になった。彼らは、ケニア内の国立公園、ナクル湖とアンボセリを回ってきて、マサイ・マラでラストとのこと。ナクル湖ではサイを見たそうである。
そして3回目と4回目にはニューヨークから来たというインド人の女性が一緒になった。バンガロール出身、歳は20代後半だろうか。アメリカのインド人勢力というのは伸びる一方で、アメリカでの発言力をどんどん強めているようだが、この女の言葉から漂う”アメリカ至上主義”みたいな匂いに僕は嫌気がさした。アメリカが最高の国だなんて思っている人間は、よっぽど世界のことを知らない人間か、もしくはアメリカ人そのものである。確かに金儲けするにはインドにいるよりはいいだろうが。
この女、1/3の朝の集合時間に遅れた。通常は出発15分前の5:45に集合、6:00出発なのだが、彼女が現れたのは6時を過ぎていた。なかなか来ないのでロッジの係員が彼女の部屋まで呼びに行ったほどだ。ソーリーと言って現れた彼女いわく、
「6時に集合かと思っていたわ、ごめんなさい。」
6時集合だと思ってたって??オメェ、もう6時過ぎてるじゃネェかよ!遅れてるじゃん!訳の分からない言い訳すんじゃネェ、ボケー!!
僕の経験上、インド人というのは自分の言いたいことを主張したいだけ主張するわりに、自分の非を認めない。

まぁそんなことがありながらも、1月2日の午後のゲームドライブでは、定番動物たちの生の乱舞と奔出に加え、天気の移り変わりとともに様々に表情を変える大草原の光輝と陰影とを体感することが出来た。
僕にとって最後となる1月3日の朝のゲームドライブでは、前の晩と同じように夜更けから朝方にかけて激しい雨が降っていたのでまた川を渡れないんじゃないかとやきもきしたが、増水は昨日ほどではなかったため何とか渡れた。が道の状態は最悪で、泥道にはまってスタックする車が続出。僕が乗った車はその度にウィンチを使って彼らを引っ張って救出した。
ゲームドライブ最後、ハンティングは見れなかったがチータ親子が仕留めたインパラの肉を貪り食っているのを見ることが出来た。これぞ野生。生身の体と体とがぶつかり合う弱肉強食の自然。僕ら都市人間も、自然に戻る時間を作らなければ。コンクリートに固められ、野生が完全に死滅した脳化都市に閉じこもっている場合じゃない。ますます弱体化する都市人間は、今こそ自然から色々な強さやエネルギーを充填せねばならない。

1月3日午前9時前、最終4度目のドライブから戻り最後の朝食。いつものようにスパニッシュオムレツを頼む。

こうして、毎日朝晩計4度のゲームドライブとフランス料理系のこじゃれた料理と快適な森の中の日本人ばかりのコテージで、夢のような3日間は瞬く間に過ぎていった。泥水のシャワーも次の日には復旧した。天気は朝方は大雨が降っていることが多く、これはこの季節としてはまったく異常なことだとのことだったが、2日目の朝に川を渡れずほとんどまともなものが見れなかった他は、ほぼ満足のいくサファリだった。
マサイ・マラ サファリ写真集

荷物をまとめチェックアウト。午前10時、軽飛行機が発着する飛行場へ向かう。30人乗りくらいの飛行機は、途中2度ほど着陸し、そこでサファリを楽しんだ客を拾って再び飛び立った。僕が乗った飛行機に同乗したのは、ほとんどが白人観光客だ。ナイロビまで1時間。ウィルソン空港に着く。ウィルソン空港からなけなしの現金を使ってタクシーでジョモ・ケニヤッタ国際空港へ。ここからエミレーツでドバイに飛び、ドバイでストップオーバーし1日滞在した後、日本へ帰る。
ついに実質的に東アフリカの旅は終わった。大いなる感慨の中、空港のカフェでサモサ(インドのスナック)とジュースでくつろぐ。
それにしてもこのナイロビのジョモ・ケニヤッタ国際空港はおかしな空港である。まず、普通ならば空港中にある発着便案内表示モニターがすべて消えている。調整中だとのこと。さらには、各ゲートには何時何分発のどこ行きかという表示が全くないので、どのゲートに行けばいいのかまるで分からない。モニタもないので、どのゲートに行ったらいいか、ゲートにいる各航空会社の係員に聞くしかないのだ。
さらには、出国審査時に出国カードを探したが、どこに行っても入国カードしかない。係員に聞いてみると、入国カードに記入すればいい、という。えっ、だって記入すべき情報が全然違うでしょう?俺、出るんだよ、出るの。だが係員は「自分の名前、パスポートNoと便名くらいを書いておけばいいんだ」という何ともいい加減な答え。この空港ではオフィシャルに、ケニア出国カードがケニア入国カードで代用されているのだ。

入国カードに記入し、イミグレーションを無事通過した後、ゲートの待合室に入る。この待合室に入る前にも手荷物X線チェックがあった。ここで、40歳くらいに見える日本人男性がバッグの中にあった水筒を怪しまれていた。ブリティッシュ・エアウェイズの航空機爆破テロ未遂事件以後、液体・クリーム・ジェル状の物質の機内持ち込みが厳しく制限されていて、ペットボトルや水筒の持ち込みは激しくチェックされるのだ。
「これは何だ?」
「お茶です、お茶。」
「お茶だと?」
「そう、ティー、ウーロン・ティー」
「じゃぁ飲んでみろ。」
こう言われた男性は、苦笑いしながら水筒の中身をごくごくと飲んでいた。
「ほらティーでしょ、ティー。」
僕はこのやり取りを見て、彼には悪いが笑いをこらえるのに苦労した。

午後5時15分、ナイロビを飛び立ったエミレーツ機は、およそ5時間でドバイに到着。ドバイ時間午後11時過ぎ。



(次へ)

(戻る)


(アフリカ旅行2006-2007 −8−

HOME > THE WORLD > Africa > Africa Travel 2006 > (8)