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ボリビア旅行記
2004年9月・記
(7)白い湖

バスがウユニに着いたのは午前3時。予定より1時間遅れ。ポトシから8時間半かかったことになる。
バスを降りると、間違いなくボリビアに来てから一番の寒さ。張り詰めた凍りつくような空気。午前3時だというのに、旅行会社の人間がバスを降りた乗客を誘っている。
「明日のウユニ塩湖ツアー、どうですか?」
全くこんな夜中に精が出ることだ。疲れていた僕はその声を振り払って、これまた午前3時なのにリヤカーを引いて歩いていた地元のおじさんに道を尋ね、ウユニ鉄道駅近くのオスタル「アベニーダ」へ向かった。僕と同じバスに乗っていた、ドイツ人かオランダ人と思われる女性バックパッカーもアベニーダの前で一緒になった。彼女もここに泊まろうということらしい。例のごとく、安らかな眠りについていたはずの宿の人を呼び鈴で叩き起こし、部屋を無事確保。
明日のウユニ塩湖ツアーは、午前11時出発と言っていたので、しばらく眠れる。午前4時。シャワーも浴びずに泥のような眠りに落ちた。


ラグーナ・ロハ(赤い湖)

翌朝。「クリスタル・ツアー」という旅行会社のウユニ塩湖1日ツアーに参加した。午前11時、運転手のおじさんと7人のツアー参加者を乗せたトヨタの4駆・ランドクルーザー(以後ランクル)は快晴のウユニの街を出発。
参加メンバーは、もう2年半も世界中を旅しているという32歳のアルゼンチン人、スペイン人の若者、大学の卒業旅行でダブリンから来たアイルランド人のイキのいい若者3人組、そして紅一点のイングランド人の女性。アルゼンチン人は、2年前の日韓ワールドカップの時には日本にいたそうだ。アイルランド人の3人組は、1ヵ月半かけてアルゼンチン、チリを北上してきてボリビアに入ったという。それぞれが大学で専攻していたのは、政治学、経済、財政学。これから始まる厳しい社会人生活を前に、少しでも遊んでおこう、という魂胆だ。みんなダブリンで就職するつもりらしい。

運転手のボリビア人のおじさんは、ガイドになるべきなのだが英語を話せない。僕とアルゼンチン人とスペイン人以外の4人(英語圏)は、スペイン語を話せない。必然的に、車内の会話は英語になった。時々おじさんが周りの状況をスペイン語で解説してくれるのだが、それを助手席に座ったアルゼンチン人が英語に訳してスペイン語の話せない4人に伝える。

車は、潅木の生えた草原、道なき道を45分くらい走って、ラグーナ・ロハという赤い小さな池に到着した。近くではリャマの群れが草を食んでいる。そして車は運転手のおじさんの母親が住んでいる小さな集落を経て、塩湖のふもとにある小さな村に立ち寄る。ここでは、人々が塩で作ったお土産を売っている。塩製の容器、置物、サイコロなど。僕は塩の小さな灰皿を買った。
この村は、塩湖ツアーの観光客が立ち寄るらしく、僕らの後にも続々とツアーの車がやって来る。ここの人々は、この塩製のお土産を売って生計を立てているのだろうか。近くのサッカー場では、高校生くらいの少年達がビブスを着てサッカーの試合をしている。
「塩製の深皿でスープ食べたら、塩辛くってしょーがないだろうね。」
「いや、塩で味付けする必要がないから料理が簡単になるぞ。」
などとショーもないギャグを言い合い、みんなで笑う。

車はいよいよウユニ塩湖へ突入する。茶色の大地が真っ白に変わる。
ウユニ塩湖は、ボリビア南西部、チリとの国境近くに位置する世界最大の塩湖で、その面積は四国の約半分。最高地点の標高は3760m。数万年前、湖の水が干上がり、流れ込む川のないウユニ湖と近くのコイパサ湖は、真っ白な塩湖となった。ここにある塩の量は、20億トンといわれる。

塩のホテル


しばらくすると360度真っ白な世界となった。平らな白い塩湖を、ランクルは時速80kmくらいで疾走する。走っても走っても景色は変わらない。塩の世界。これが塩?とはにわかに信じられない広大な白。ティティカカ湖の澄んだ青とは対照的な世界。
30分くらい走ると、塩湖の真ん中に建物が見えてきた。これは、塩のホテル。建物をはじめ、中のテーブルや椅子、ベッドまですべて塩で出来ている。ここに泊まると夜闇に沈んだ神秘的な塩湖の光景が見られるとのことだ。雪深いスキー場でペンションに泊まった時の、または誰もいないナイタースキーのゲレンデみたいな光景だろうな、と想像してみる。

再び車は走り始める。何もない真っ白の世界。そうして1時間くらい走ると、前方に「島」が見えてきた。どうしてもここが「湖」であるという感覚が湧いてこないのだが、数百万年前は水をたたえた湖だったことを考えると、前方に見えてきたものは、「島」と呼ぶのがふさわしいわけである。
島の名は、「魚の島」(イスラ・デ・ペスカ)。島の形が魚のように見えることから名づけられたという。ここもティティカカ湖の太陽の島と同じように小高い丘となっていて、登れるようになっている。丘にはたくさんのサボテンが生えている。このサボテンは、昔インカの人々が植えたと言われている。丘の頂から見る塩湖の雄大な風景は、不思議な感覚をもたらす。どこか北の雪国に来たような光景だ。グリーンランドってこんな風景なのかもしれないな、ふと思いが浮かぶ。

アイルランドの3人組は、サボテンをネタにショーもないポーズをとって写真を撮り合っている。
(僕も彼らの年頃にはあぁいうバカをやってたな〜。)
はるか昔友達と行ったアメリカ旅行を思い出し、心の中で笑う。

丘を降りると、ツアーに含まれている昼食。魚の島のふもと、ベンチにみんなして座る。チーズ、アボガド、トマト、きゅうりをパンに挟んで自分でサンドイッチを作って食べる。簡素な食事だったが、会話が弾む。

車は折り返して帰途につく。途中、湖の真ん中に、煙を吐く小さな火山が見えてくる。そのふもとには、水を湛えた池がある。塩湖の中に火山。塩湖の中に池。不思議な組み合わせだ。池ではチリフラミンゴが優雅に水遊びをしている。そして飛び立っていく。
このウユニ塩湖は、雨季には表面に水が溜まり、その水が鏡面のように空を映し、ジープで疾走するとまるで空を飛んでいるような感覚を味わえる、という。

ここでアイルランド人の若者達が突拍子もないことを言い出した。
「おじさん、ランクルの上に乗ってもいいかな?」
確かにランクルの屋根には荷物をたくさん積めるようになっていて、人が乗れないことはない。さっきも彼らは「俺達に車を運転させてくれ!」と言って、おじさんにむげもなく拒否されている。だが今回はおじさんは快諾した。
3人組は嬉々として屋根に乗った。ランクルは時速80kmで再び白い世界を疾走する。20分ほど走って、塩湖が終わりになる頃、3人は車の屋根をドンドンと叩いて中に合図してきた。もう充分、ということらしい。停車して屋根を降りた彼らの顔は、塩で真っ白になっている。みんなで笑った。

ウユニ塩湖写真集
ウユニ塩湖疾走ビデオ映像

そこからは茶色の大地。スペイン人の若者とイギリス人の女性は、今晩バスでポトシに移動するとのこと。バスの時刻は午後7時。あまり時間がない。運転手のおじさんは、猛スピードで茶色い荒野を飛ばす。

午後6時半、ランクルは夕暮れのウユニの街に戻ってきた。充実したツアーだった。アルゼンチン人、アイルランド3人組、スペイン人、イングランドの女性と握手しながら別れの言葉を告げる。
「良い旅を。」

その後クリスタル・ツアーのオフィスでタバコを吸いながらくつろぐ。ここからスクレ行きのバスのことを聞いてみると、何と明日の午前10時発、ポトシ経由スクレ行きのバスがある、というではないか。ラッキー!この旅では珍しい幸運だ。というのも、ウユニからポトシ方面へ行くバスは夜行しかない、と今まで他の旅行者達に聞いていたからである。明日の午前中にウユニを出れれば、ベストスケジュール。ウユニの街自体には見るべきものもないし、この後再びどんな悪夢が襲うかも分からない。ウユニからスクレまでは最低10時間はかかる。明日は1日中移動日になるとしても、夜行バスでは見れない雄大な景色を見ることが出来る。
すぐにこのバスチケットを予約した。無事に旅を終わらせるために・・・。

その夜は、道で若者に教えてもらった場末の大衆食堂で、ボリビア料理「ピケ・マチョ」を食べる。店のオバちゃんと話す。食べ終わって店を出るとき、妙に感傷的な気分になる。
(あぁ、もうこの食堂には二度と来ることはないんだろうな・・・。一期一会、か・・・。)
こんな気持ちを感じるのは、旅が終わりに近づいてきたからだろうか。

厳しく冷え込んだ夜のウユニ。感傷的な気持ちを引きずりながら、歩いて宿へ戻った。


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