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ボリビア旅行記
2004年9月・記
(8)白い街・スクレ、そしてラパス最後の夜

ウユニの街のシンボル、時計台

翌日、9月1日水曜日。バスで出発する前、ウユニの街をしばらく歩き回る。ウユニは、中心部から2ブロック離れただけでもう廃墟の町のような様相を呈してくる。砂で茶色にくすんだ壁と、もう何年も誰も住んでいないような、人の生活感が感じられない汚い家。昔はもっと人口が多く活気のある街だったのだろうか。最近の「塩湖の街」の景気は今ひとつらしい。この街の主な収入源は、塩湖の観光と塩の販売らしいが、昨日ツアーのおじさんに聞いたところでは、近年は塩の値段が低く、稼ぎが少ないのだと嘆いていた。

ウユニのバス発着所

街の中心に戻ると、ちょうど登校する子供達の波に遭遇した。こんな小さな街なのに、子供はたくさんいる。次から次へとやって来る。彼らは少しシャイだが、ビデオカメラを向けるとすぐに集まってきた。


午前10時、僕が乗り込んだ中型バスは、輝く日差しの中、ウユニを出発しポトシへ向けて走り始めた。朝晩の極寒がウソのように昼間は暖かい。常に天気がいい。思えば、ラパス初日に午後から大雨になったのが今では魔法のように感じられる。その後1週間、毎日抜けるような青空しか見ていない。

バスの休憩所、レストランがただ1軒

バスの車窓は、予想通り雄大な風景を映し出す。茶色や褐色の岩肌むき出しの荒々しい山々と何もない荒野。だが、時々小さな集落が現れる。そこでは、インディヘナのオバさんが、1人きりでクワを持って広い畑を耕している。別の集落では、遠くの小道を重い荷物を背負ったオバさんがこれまた1人きりで炎天下を歩いている。驚くほど人気のない土地で、大地と太陽とともに生きる人々。南米アンデス山中の高地で、彼らは生まれてから死ぬまで、同じ生活を続けるんだろうか。

ウユニからポトシへの道、何もなし
標高4000m以上、延々とワインディングロードが続く

時々リャマやアルパカの群れが潅木の草原に見える。そして牛、ブタ、羊が現れる。

途中一度バスのタイヤがパンク。運転手と車掌がタイヤ交換。未舗装道路なので、タイヤも何本か積んでないと危ない。何しろ辺りは何もない。炎天下の茶色い世界。ここで動けなくなったら大変だ。

炎天下のアンデス山中でタイヤ交換

ポトシには午後4時に到着。夜中8時間半かかった道のりを、昼間は所要6時間で着いたことになる。ポトシでバスを乗り換え、テルミナルで待つこと1時間半。
「スクレ直行便やないやないか!何で待たなアカンの?!」
僕と同じようにウユニからスクレへ行くオバちゃんたちが大声でバス会社の人間に文句を言っている。
午後5時半ようやくバスは出発し、スクレへ向かう。
ポトシからスクレへの道は一転して快適な舗装道路。道幅も広い。そこをバスは高速で飛ばす。こんなに揺れなく快走するバスに乗ったのが久しぶりなので、変に感激する。
バスは坂を下り徐々に標高を下げていく。午後7時を過ぎ、外は夜の闇に包まれる。この比較的大きな道でも、街灯はない。だが、街を次々に通り過ぎるので、暗さは感じない。
標高が下がるとともに、窓から入ってくる風が気持ちよく感じられる。そよ風。今までのバスの旅では考えられなかったことだ。窓を開けて走ろうものならすぐに凍えてしまっただろう。空気が濃くなっていくことは全く感知できないが、確実に空気は柔らかくなってきている。今まで経験してきた、夜の張り詰めた厳しさがない。エクアドルで言えば、クエンカ(2500m)からコスタ(0m)に降りるときの空気の変化に似ていると言えなくもないが、スクレはそこまで緩まない。スクレの標高は2790m。クエンカよりも高い。だが、今までの4000m近い空気から、明らかに変化が感じられる。逆に言えば、いかにラパスやポトシの空気が厳しく冷たかったか、ということだろう。
緩やかな坂を下りながら、長年活躍してきたプロスポーツ選手が引退する時ってこんな気持ちなのかな、という空想にとらわれた。長い間生き馬の目を抜く厳しい世界に身を置いた後引退する時。ホッとするような、ちょっと寂しいような気持ち。今まで空気の薄い4000m前後の高地で過ごしてきて、山を降りる。空気が柔らかくなる。

街灯のない暗い田舎をバスは走る。夜空を見あげると、無数の星が輝いている。まだ月は上がっていないので、星が悠々と自由気ままに輝いている。すごい数だ。数限りない星。見慣れない星座が多い。バスの窓に顔をくっつけんばかりにして食い入るように夜空を見つめる。アメリカ・モンタナの夜空を思い出す。

窓の外を眺めながら、今までの旅のことが続けざまに浮かんでくる。思えば、今まで色々なトラブルがあったが、こうして今バスに乗ってスクレへ向かってるのは全く当初の予定通りだ。最悪明日の午後までにスクレに着けば何とかなったのだが、その最悪事態も回避して、今悠々と柔らかくなっていく空気を楽しんでいる。自分で立てた事前の旅行計画の周到さを自画自賛する。いつもならもっとタイトなスケジュールを組んでいたはずだが、エクアドルでのバス運行状況の悲惨さを踏まえ、バス移動が主体のボリビアでも同じ状況を想定できたのだ。つまり、日程に余裕をみて幾日か余分に予備日として組み込んだのである。そのおかげで2日間のパロも、飛行機に乗れなかったことも、すべてを吸収して予定通り。それでも、夜中に目的地に着いてその日の朝から活動をすることは余儀なくされたが。

スクレの街に着いたのは午後8時半。暖かい。ジャンパーは必要ない暖かさだ。
セントロは多くの人でごった返している。
(おっ、活気のある街だな。)
いつものように安オスタルにチェックインし、夕飯を食べに外に出る。ボリビア料理を出すレストランを探すが、マトモなレストランが全然ないのには参った。あるのはファーストフード風のハンバーガー屋とチキン屋ばかり。特にハンバーガー屋は、スクレ中の人間が毎日食べてるんじゃないかってほどたくさんある。ずっとハンバーガー屋が並んでる「ハンバーガー通り」と名づけたくなるような一画もあった。スクレ人、しっかりしろ。確かに長く植民地だった国とはいえ、もっと自国料理を大切にしようよ。これじゃ日本よりヒドイ。
何かフェスティバル期間のようで、ある一画は露店がびっしりと出て、夜9時過ぎとは思えない賑わいだ。街の中心、5月25日広場では、火を使ったパフォーマンスをやっている一座、地面にアクセサリー等の露店を出している人々、そしてそれらを見物する人々が集まっている。スクレは、ボリビア第4の都市。夜も活気がある。

空を見上げると、バスの中からあれだけ見えた無数の星は、ほとんど見えなくなっていた。



翌朝、スクレの街に飛び出す。ラパスから400km、標高2790m。街を歩くと白い建物ばかりだ。「地球の歩き方」によれば、スクレには「建物は白く塗らなければならない」という法律があるという。白い街は、それだけでおしゃれな、洗練された印象を与える。
人々の格好を見ても、西洋チックで洗練されている感じがする。着こなしもちょっと上品だ。今まで僕が見てきた泥臭いボリビアとは雰囲気が違う。インディヘナの人たちが目立たない。ラパスの混沌とした乱雑さが感じられない。ちょうどトルコでイスタンブールからアンカラに移動した時の感覚とよく似ている。アンカラの人々は西洋的で上品でおしゃれで、街自体もイスタンブールのような活気ではなく、洗練された整然さを感じたものだ。アンカラはトルコの首都。ビシッと着こなした官庁街のビジネスマン、OL達が僕らにそういう印象を与えたのかもしれない。
スクレは、間違いなくこの「白い街並み」が洗練された感じを醸し出している。

この街は以前首都だった場所(今でも、憲法上はここスクレがボリビアの首都であるが、実質的には政治・行政機関はすべてラパスにある)。征服者スペイン人たちは、標高も幾分低くて過ごしやすい気候のこのスクレに、ポトシの銀を管理するための拠点の街を建設したのだ。さらに1825年にここでボリビアの独立宣言が行われた。南米独立の立役者シモン・ボリーバルの名がボリビアの国名に、初代大統領スクレの名がこの街につけられた。
数多い教会。すべて白い教会だ。不思議なもので、どの教会も「純白」というだけで美しく見えてしまう。ラパスやポトシの茶色を基調とした教会の雰囲気からは全くかけ離れている。それにしても美しい。白は汚れが目立つはずなんだが。毎年塗り替えしてるのだろうか。

スクレの街

午後3時までスクレの街を歩き回る。その後タクシーで空港へ。午後5時のボリビアーノ航空のラパス行き。この前ラパスからのスクレ便に乗れなかったので、今日は朝一でスクレセントロにあるボリビアーノ空港のオフィスに行き、ちゃんと今日の便が時間通りに飛ぶことを確かめた。
空港に午後3時半到着。僕の乗る便は、「A TIEMPO」(時間通り)の文字。ホッとしてチェックインする。この空港では驚いたことに荷物のX線検査がなかった。いいの、こんなんで?

午後5時定刻にスクレを飛び立った飛行機は、40分してすぐにボリビア第3の都市・コチャバンバに着陸。そこで一度飛行機を降りる。空港はかなりキレイだ。待ち時間が1時間以上ある。午後7時、再び飛行機は離陸し、ラパスに到着したのが7時半。三度(みたび)ラパスに戻ってきた。タクシーで山を降りてすり鉢の底にあるセントロへ。もうすでに5泊もした安オスタル「ハチャ・インティ」へ。フロントのニーちゃんとネーちゃんは、まさか僕がもう一度ラパスに戻ってくるとは思わなかったんだろう、驚きとともに僕を歓迎してくれた。30Bs(約4ドル)のトイレ・バス共同の部屋にチェックイン。

荷物を置くとすぐに出かける。今日はラパス最後の夜。行くところは決めていた。ペーニャ。
ペーニャとは、フォルクローレの生演奏があるライブハウスのことだ。フォルクローレとは南米各地の伝統的な音楽で、ボリビア音楽は特に有名。
フォルクローレというと、南米の人々の喜怒哀楽をストレートに表現した音楽だが、ボリビアでは特に鉱山労働者の苦しみ・悲哀を歌ったものが多い、という。そして独特の民族楽器(笛や弦楽器)から奏でられる哀愁漂うサウンド。誰しも「コンドルは飛んでいく」なら一度は聞いたことがあるだろう。

僕はこの音楽に対する思い入れは全くなかったが、このペーニャで生のフォルクローレを聞いて、各楽器が奏でるサウンドの響き、歌の力強さ(コーラスも決まってる)にいきなりゾクゾクしてしまった。これが本物のフォルクローレか。ベトナムのハノイで、「水上人形劇」で演奏されるベトナム音楽を聞いた時と同じ感情だ。歌詞の内容は分からないけれど、そのリズム、楽器が作り出すサウンドの雰囲気、コーラス、ところどころで入る掛け声。すべてが一体となって僕の感性に迫ってきた。
僕が行ったペーニャには、ラパスでも今人気のフォルクローレバンドが出演するそうで、なるほど演奏も歌もハイレベルだ。バンド編成は4,5人で、サンポーニャまたはケーナという笛系の楽器が1人、アコースティックギターが1人、チャランゴという金属的な高音を奏でる独特の弦楽器が1人、そして太鼓が1人、というのが基本。笛が前面に出る(主旋律を吹く)ことが多く、その情感あふれる響きには正直圧倒された。

今までフォルクローレと言うと、哀愁漂うマイナー系の曲調、というイメージがあった。悪く言えば暗く、寂しい気持ちにさせるような曲調。だが、この日一番目からうろこが落ちたのは、フォルクローレには明るい曲も多い、ということだ。つまりメジャー系の進行で、しかもメロディーがキャッチーな、いわゆるポップな曲。笛が叩き出す軽やかな主旋律を聴いて、「これだ!」と思った。そして時々入る掛け声が高揚した気分をさらに盛り上げるように後押しする。ボリビアの人々は辛く苦しく悲しくて寂しいことばかり考えてるんじゃない、楽しいことが楽しいに決まってる。

この日は2つのバンドが出演し、その音楽とともにステージで繰り広げられるボリビア民族舞踊。民族衣装を着た踊り子達が、ボリビア各地方の12の踊りを披露する。今までに見たこともない衣装と踊りなので、これもなかなか楽しめた。
1バンド目の演奏であまりにゾクゾク来たので、彼らのCDを思わず買ってしまった。演奏後、メンバーの1人が各テーブルを回って自分達のCDを売りに来たのだ。
ボリビアの伝統芸能を満喫できたボリビア最終日。
午後10時半にステージは終了。フォルクローレに対する考え方が変わった夜。チュフライの酔いとともに、満たされた、少し興奮した気持ちで歩いてオスタルに戻る。やはり音楽の力は偉大だ。

明日はいよいよ最終日。明日はただエクアドルに帰るだけ。朝9時の飛行機でリマへ飛び、乗り換えてリマからグアヤキルへ。グアヤキル到着は午後1時半の予定。


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