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インド旅行記
2003年1月・記
第2部 日常に死を見る聖地・ヴァラナシ
サールナート、そしてアーグラーへ
DAY5(2003/1/2)
正月二日。朝早く起きてホテルのテラスからガンジス河を望もうとするが、沸き立つような濃霧で全く視界がきかない。寒い。
ダメーク・ストゥーパ
今日はまずヴァラナシの鉄道駅へ向かう。ここで私はデリーからアーグラー行きのチケットを買った。その様子はまさに戦場!インド列車を読んでもらうとして、無事チケットをゲットした後、リクシャでサールナートへ向かった。
サールナートは、ヴァラナシの北東約10kmのところにある、仏教の聖地である。現在のインドはヒンズー教徒が大部分を占めるが、ご存知のようにインドは仏教発祥の地である。ブッダは紀元前5世紀ごろ、インド国境に近いネパールのルンビニーで生まれ、解脱・悟りを求めて世俗の生活を捨て苦行の旅に出る。そしてインド北部ブッダガヤの菩提樹の下で深い瞑想に入り、そこでついに覚りを得た。それが覚者・ブッダの誕生である。そしてさらに歩き続け、当時宗教家が多く集まっていたというヴァラナシへ向かい、サールナートで初めて自分の覚った真理を語ったと言われている。
ヴァラナシ鉄道駅
強欲リクシャドライバー、悪い奴ではないんだが・・・。
ストゥーパの周りを歩きながら祈る人々
車座になって仏僧の説教を聞く人々
ヴァラナシ駅から雇ったリクシャドライバーはなかなか気前のいい奴で、途中道端のチャイ露店に寄り、チャイをおごってくれた。ここでは、小さな茶色の陶器の湯飲みに入れて飲むのだが、飲み終わったら湯飲みを地面に叩きつけて割ってしまうのだ。辺りには陶器のかけらが散乱している。貧乏な国インドでなんともったいないことを。
さて、インド人におごられるとは意外だが、奴には魂胆があるのだ。私と合意したサールナートまでの40ルピーは、『歩き方』でも相場とされている料金であり、奴が舞い上がるはずはない。奴は、私が「サールナートの後は、そのままヴァラナシの空港へ向かう」と告げると俄然やる気を出し、「俺に空港までもやらせてくれ」と嘆願したのだ。私はそこでは同意せず、とりあえずサールナートまででいい、としたのだが、奴は今でもそれを狙っているのだろう。つまり私に媚び、いい印象を与えておいて、空港行きの足も自分がゲットする、と意気込んでいるのだ。サールナートからヴァラナシ空港までは遠いのでかなりの収入が見込めるからだ。
ほどなく20分ほどでリクシャはサールナートに到着した。午前9時過ぎ。観光客の人影は少ない。サールナートの広大な園内には霧がたち込めている。この時期、インド北部は朝方霧が出るようである。
この仏教遺跡で一番目立つのが巨大な仏塔、ダメーク・ストゥーパである。「ストゥーパ」はサンスクリット語で「土を盛り上げたもの」という意で、仏塔の意味に転化して今でも使われている。ストゥーパの他は、土台だけとなった遺構が連なっている。
昼に向かうにつれ、徐々に霧が晴れてきた。それとともに気温も上がり、ポカポカ陽気になってくる。芝生と木々の緑が輝き始める。
ストゥーパの周りを歩きながら修行する仏僧の姿が目立ってくる。今でもここは仏教徒にとって聖地なのだ。彼らは赤い法衣を着ている。僧以外にも一般の仏教徒のおじさんおばさんが仏塔の周りで祈っている。彼らの祈りの様子は見たことのないもので、歩きながら歌のような念仏を唱え、立ち止まる。すると突然地面にうつ伏せになって足を伸ばして横たわって祈る。そして再び立ち上がって祈り歩きを始める。そうやって仏塔の周りを何周も何周もしている。これが仏教の本格派礼拝方式のようだ。
隣接したディアパークでは、シカたちがそこらじゅうを歩いている。が柵があるので奈良公園や金華山のように直接触れ合うことは出来ない。足元をリスが走りぬける。インドの街なかの喧騒を全く忘れ去れる、とても静かでのどかな場所だ。
インドでは、ヒンズー教徒が現在多数を占めるが、歴史的にイスラム教、仏教も文化として融合している。イスラム教はもともと同じ国だったパキスタンがイスラム国として独立してインド国内では西側に中心があり、一方の仏教は東側にそれが栄えていた頃の面影があるようだ。『歩き方』によれば、インドでの仏教は、衰退したというより、ヒンズー教に飲み込まれ融合した、という方がいいようである。ヒンズー2大神の一つ、ヴィシュヌの化身の一つとして、ブッダがあるのだ。イスラム教についても、大量の物乞いへの施しを行う、ということがイスラムの喜捨(バクシーシ)の思想につながっているようだ。
静かな園内をしばらく歩き回る。何か知らないけど途中TVのクルーが来て、私にインドのことについてインタビューするから、英語で答えてやる。
11時半、遺跡入り口にある青空レストランで昼飯、チキン・プラオ45ルピー。チキン・プラオは要はチキンピラフ。ここまで毎日毎日カレーだったのでたまには違うものを食おうと思って頼んだのだが、観光客料金で高い。街で食べるターリーのほうが断然安く、腹いっぱいになる。
飯を食い終わると、奴が近づいてきた。奴とは例のリクシャドライバーだ。
「空港行くのか?」
「いや、まだ行かねぇ。」
私は近くにいくつかある寺のほうへ向かって歩く。だが奴はちっとも諦めない。いくらでも俺を待つつもりらしい。
寺を見た後、近くに停まっていたリクシャに乗り込む。だが様子が変だ。少し乗ったら、ドライバーは何と私を例の強欲男のところへ連れて行くではないか!強欲男は、近くにいる同業者に片っ端から根回しして、「あの日本人は俺の客だ。俺が帰りも担当する」とでも言ったに違いない。だが客を血眼になって求めているはずの他のドライバーたちが、そんな個人作戦を簡単に了承するとは思えない。自分が連れて行けばかなりの金になるからだ。
(そこまでやるか、お前・・・。)
結局私は仕方なくこの強欲強引リクシャ男のしつこさに負け、奴のリクシャに乗りサールナートを離れヴァラナシの国内線空港へ向かった。本当にガメついというか、そこまでやるか、って感じだがまぁ値切ったからよしとしよう。
飛行機に乗り再び私はデリーに戻った。始めに強盗に遭ったメインバザールで安宿(ゲストハウス)にチェックイン。トイレ、ホットシャワーついた部屋で175ルピー(およそ440円)。部屋のみのシングルだと110ルピー(約275円)だったが、熱いシャワーが出たのでシャワーありの部屋にした。朝晩が寒く、ホットシャワーは重要ポイントだ。ただ、部屋はかなり汚い。ゴキブリが這い回る。
夕飯はメインバザールのインド人大衆食堂で再びターリー、20ルピー(50円)。狭い店内は、地元インド人で満席。相席中の相席でインド人とともにカレーを食らう。レストラン内、ボーイを含め一斉に私に向けられる好奇の目、目、目。すべて男。メインバザールには日本人バックパッカーは多いはずだが、インド人たちは私のことをもう珍しくてしょーがないとばかりに見つめる。ビデオを撮ると彼らの好奇心はピークに達する。そうこうして全員の注目を浴びつつ美味いカレーを食った後、しばらく夜のメインバザールを歩く。子供が屋台で焼きそばを作っている。それが日本の焼きそばそっくりでうまそう。夜10時ごろだというのにまだまだにぎやかなメインバザールの雑踏。デリー初日深夜、人気のないはずれの方でいきなり強盗未遂にあったが、メイン通りはずっとにぎやかで、危ない雰囲気はさほど感じない。
ゲストハウスに戻り、ルームサービスで熱々のチャイを頼み、シャワーを浴びて寝た。
明日は電車でアーグラーへ向かう。
2003年1月3日。早朝のメインバザールは人が少ない。朝もやの中をしばらく歩く。そしてメインバザールから大通りの反対側にあるニューデリー鉄道駅へ。ここでは列車を待つ間いろいろな人間に遭遇したが、それはまたまたまさに戦場!インド列車を読んでもらうとして、1時間半遅れた列車に乗って約3時間、とにかく無事にアーグラーに着いた。午後4時ごろ。
アーグラーは、デリーからヤムナー河沿いに約200km下ったところにある地方都市である。何といってもあのタージ・マハルがある街として有名。
その屋上からタージ・マハルを見渡せるのが売りのシャンティ・ロッジにチェックイン、1泊180ルピー(約450円)。
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